えばたストーリー ~「えばたたかこ」ができるまで~【第一話】
「本の虫」から「野球の虫」に転じた少女時代
~そして「コンピュータ」との出会い~

えばたたかこは、クリスマスを目前にひかえた冬の夜に、東京の虎ノ門病院で産まれました。この虎ノ門病院では、のちに自らも息子を出産することになり、私たち一家にとっては思い出深い場所のひとつです。
5歳のとき、父の転勤で兵庫県に移り住むことに。そのまま兵庫県の小学校に入学し、学校行事で宝塚歌劇鑑賞に行ったことは、今でも印象にのこっています。
9歳で、ふたたび東京に戻り、世田谷区立守山小学校に編入。同級生のお母さんたちから「たかこちゃんとなら、どこに遊びに行ってもいいわよ」と言ってもらえるほど、いわゆる「おとなしくてまじめな子ども」だったそうです。
毎朝、誰よりも早起きをして本を読むような娘を、両親は「本の虫」と呼んでいました。なかでも大のお気に入りだったのは『母をたずねて三千里』。遠く離れた地に暮らす母親を探す少年・マルコの旅物語は、私に「家族愛」の大切さを教えてくれた一冊です。
同じ世田谷区の公立中学校へ進学。「本の虫」だった私は、中学生活のなかで活動的な少女に変わっていきました。中央委員会で「女子ソフトボール部の設立」を提案、実現させるなど、クラス委員としてなかなかの役割を果たせたと自負しています。

都立青山高校に入学してすぐに、野球が大好きだった私は、迷わず野球部のマネージャーになりました。まず課せられたもっとも大切な仕事は、練習試合を組むことでした。そのころの連絡手段といえば「ピンク色の公衆電話」だけ。ありったけの10円玉を握りしめながら、他校に試合の申し込みをする日々をおくりました。野球ではまったくの無名校だったので、練習試合に応じてくれる学校を探すのがとにかく大変で、甲子園の常連校が引き受けてくれたとき、いざ試合に出てみたら「二軍」だった…なんてこともありました。その努力の甲斐もあってか、3年の夏には東東京大会で4回戦まで勝ち進む(※)ことに!(※・残念ながら、早稲田実業に敗退してしまいましたが、いまだに青山高校野球部の史上最高位をキープしています)
野球に夢中になる反面、勉強もおろそかにできないという意識が常にありました。マネージャーを引退してからは、参考書とにらめっこの毎日がはじまりました。
そして、横浜国立大学に進学。入学したのは教育学部でしたが、専門分野にじっくりと取り込める課程だったので、物理化学を専攻しました。そして、コンピュータでシミュレーションをすることに没頭することに。研究室で大型コンピュータとパソコンに向かい合う日々。これが、私の大学生活でした。
第二回「これからの時代は、やはりコンピュータ!」~まだまだ珍しかった女性エンジニア時代~ につづく


