えばたストーリー ~「えばたたかこ」ができるまで~【第三話】
大好きだった父が認知症に。
~日本に想いを残しながら、MITでの留学生活~
自費留学は、金銭的にとても実現しそうにありませんでした。それでもやはり、留学の夢をあきらめきれずにいたときに、専門分野の研究をおこなう社会人に奨学金を出す機関『フルブライト奨学金制度(※)』を知ったのです。あくまで高嶺の花とは思いつつも、「自らのバックグラウンドであるコンピュータシステムを通じて経営を学びたい、そのためにはシステムの先進国のアメリカに留学したい」と熱心にアピールした結果、無事に合格。その際の面接官に「そんな動機なら、どうしてMIT(マサチューセッツ工科大学)を受けないのか?」と尋ねられました。(※・フルブライト奨学金制度/戦後、米国上院議員・フルブライト氏が、各国の復興のために作った留学制度。日本で政治・経済・医学・芸術と、あらゆる分野の礎を作ったといわれる人々の数多くがこの制度を利用したそうです。現在は、民間からの寄付と政府の援助が半々で、政府の負担分を日本と米国で分けています。ちなみに、河合隼雄氏、竹村健一氏、小田実氏、明石康氏などもこの制度の利用者です)
MITに留学する直前のサマースクールにて
(コロラド州・ボルダー)。
後に夫となる男性と出会った場所でもあります。
「私でも、MITが受けられるの?」フルブライトの面接官の一言がきっかけとなり、30歳でMITのビジネススクールへ入学しました。一日中英語で授業を聞き、睡眠4時間で勉強する日々のはじまりです。そして、非英語圏の国から留学してきた、いわば「同じ苦労」をしているクラスメイトとの友情はとても厚いものでした。
MITの夏休みに、いったん日本に帰国しました。実は、当時83歳だった父に「認知症」の症状が現れはじめていたのです。我が家は世田谷だというのに、郊外の警察から電話があり、遠くまで父を迎えに行くことも数知れず。警察に迎えに行った帰り道、父と手をつないで歩くうちに「そういえば、子どものころは、お父さんと一緒に散歩するのが大好きだったな」と思い出して、なんとも切ない気持ちになりました。
それでも「電車に乗って、なぜ遠い土地に行ってしまうのか」「三人家族なのに、なぜシュークリームを30個も買ってきてしまうのか」、まったく理解できず、娘としては少しいらだちを感じていました。むしろ“なにもできない自分”が腹立たしかったのかもしれません。夏休みが終わり、MITのあるボストンに戻るとき、そそくさと家を出ていこうとする私を、足袋のまま玄関先まで追ってきた父。タクシーのバックミラーをのぞくと、ぽつんと立ちすくむ父の姿が見えました。「大好きだったお父さんが、あんな風になってしまった」後ろ髪を引かれつつ、アメリカ行きの飛行機に乗り込みました。
マッキンゼー・ヘルスケアグループでおこなった
屋外ミーティング。
ボストンに戻ってからは、ひたすら就職活動に専念。就職活動の楽しみといえば、外資系コンサルティング会社の説明会。一流ホテルでの食事は、私のような自費留学生にとっては垂涎の機会でした(笑)。地道な就職活動を根気よく続けるうちに、志望する企業のなかで一番縁がないと思っていたマッキンゼー・アンド・カンパニー社から「システムのプロもコンサルタントとしてぜひ雇いたい」という話があり、秋に採用が決定して、心から安堵しました。「あとは卒論に専念するだけ」と思っていた矢先に、「父が倒れた」との知らせが。東京にいる父のことを考えながらも、なんとか卒論を書き上げました。
翌年6月にMITを卒業し、日本に帰国。同時に、「娘が帰ってくるまでは」と長期入院中だった父も自宅に戻ることに。意思の疎通もままならない、いわゆる“植物状態”の変わり果てたその姿に、大きなショックを受けました。そんな父に、MITの卒業証書を見せ、「マッキンゼーに行くよ、大前さんのいるところだよ」と話しかけると、大前研一氏のファンだった彼の目にうっすらと涙が…。「お父さん、わかるんだよね?そうよね?」そして8月に、父は他界しました。帰国して、わずか二ヶ月目のことでした。
マッキンゼーのYearEndPartyで和太鼓を叩く。
楽しかった!私にとって二つめの会社であるマッキンゼーでは、前職でのスキルを活かして通信、電機、コンピュータなどの会社をコンサルティングを担当。論理的思考、問題解決、トップマネジメントの目線、コンサルタントとしてどれだけクライアントにベストを尽くせるかなど、得たものは大きいと思います。さらに、新たなコンサルティングの対象に「人の命に直結する分野」として個人的に関心のあったヘルスケアを選択し、仲間たちとヘルスケアグループを立ち上げました。人の価値観、環境、生活習慣などに密接に関わる分野でありながら、「患者さんやその家族の方々に、きちんとした情報が届いていない」ことなどを常に問題意識として考えながら、製薬会社の合併や新製品戦略に奔走する日々をおくりました。
第四話 結婚、そして出産。初の「ママさんコンサルタント」の誕生。~そして、母の病状が悪化することに~につづく


