えばたストーリー【ママさんコンサルタント】

えばたストーリー ~「えばたたかこ」ができるまで~【第四話】

結婚、そして出産。初の「ママさんコンサルタント」の誕生 ~そして、母の病状が悪化することに~

 93年に4歳年下の夫と結婚し、94年には親子二代にわたり、虎ノ門病院で息子を出産。そして、マッキンゼー東京支社・初の「フルタイムママさんコンサルタント」と呼ばれるようになりました。そうはいっても、夫と息子の家族三人で囲む食卓は朝ごはんだけ、ほかは同居している母にまかせて、帰りは毎日午前様という日々でした。また、我が家では「魔の水曜日」と呼んでいたほど、なぜか息子は水曜日になると熱を出し、保育園から電話があると迎えに行き、母あるいは主人の実家に預け、また会社に戻る…というようなことを繰り返していました。そんなある日、ヘッドハンティング会社から一本の電話が。「コンサルティングの仕事を辞めるつもりはありません」と明言していた私に紹介されたのが、アムジェンというバイオの製薬会社。当時のアムジェンは、エリスロポエチン、G-CSF(※)という二つの薬剤で大成功を収め、日本法人を軌道に乗せようとしているところでした。(※・エリスロポエチン/赤血球の増殖因子を、G-CSF/白血球の増殖因子をそれぞれ増やす働きのある薬。前者は腎透析やがん患者に、後者はがん患者に主に使用されています)

stories4_01.jpgアムジェン本社からやってきた研修者を 築地市場にご案内。 マグロを背景にパチリ。
 少女時代に薬学部を目指していたことや、ヘルスケアのコンサルティングでつちかった経験が役立つかもしれないと、アムジェン株式会社の経営企画室長に転職を決意しました。その後4歳の息子を連れて渡米。夫も転職して家族でカリフォルニアに移り、出産後はじめて家族三人で夕飯を囲む毎日を過ごせるようになりました。幼い子どもを連れての海外生活は正直不安でしたが、園長先生が日本人のプレスクール(日本でいう幼稚園)を選び、また、帰国子女だった夫のフォローの甲斐もあって、息子もすぐに新しい環境になじんでくれました。半年間の駐在を終えて帰国後、執行役員に昇進し、日本法人として初の製品上市をおこないました。やがて管理部門の責任者になり、2003年には、取締役、CFO兼マーケティング本部長に就任。キャリアを順調に積んでいくはずでしたが…。



stories4_02.jpgアムジェン本社社長や日本法人幹部たちと一緒に。
 2003年の夏ごろ、当時小学校3年生だった息子の元気が急になくなったのです。どうやら、いつも自分の面倒を見てくれている私の母の様子が心配らしい、とわかりました。母は父を看病していた92年ごろから膠原病を患っていて、それが97年ごろに間質性肺炎と診断され、呼吸が苦しくて孫の面倒もままならない深刻な状況に陥っていたのです。
「誰かに、ついてもらおうか?」
母は「他の人の世話になるのは絶対に嫌」と、首を縦に振りませんでした。




第五話 母の介護、育児、仕事。そこから得たものとは?~介護を通じて感じた「制度への違和感」~につづく